パラ競技
テンチョです。
多分今の私はパラリンピックに競技者として参加する資格はないと思う。
パラリンピックを見ていると様々な感情がある。
当然結果をみんな気にするのでしょうが、それだけでなく挑戦することの勇気や、そこに行き着くまでの努力が何も知らない私にも少しは伝わります。
障害を偽る卑劣な行為がありました。
国から障碍者として認められてない人が代表に選ばれるのかも疑問で、逆にどうしてバレてしまうのかも気になります。
話は変わって、ある意味では彼らはサイボーグであると言えます。
失ってしまった体の一部を器具で補っている人は分かりやすいです。
街用の義足は出来るだけ自然に作られているので感じにくいですが、スポーツ用は一気にサイボーグ感が出ますね。
車イス競技者の選手は間違いなく、そんじょそこらの健常者より移動速度が速いでしょう。
当然それはトレーニングという努力の上にあるのでしょうが、その器具が気になります。
多分決して安価ではなかろうと思われます。
そしてテクノロジーもしっかりと入っている。
どんどん進歩するテクノロジーに競技者は付いていけるのか?
そのテクノロジーがパラアスリートにマジョリティとマイノリティを生み出していないのか?
いや、そもそも近代スポーツはそういうものなのかもしれませんね。
パラリンピックに限らず健常者のスポーツでもそうかもしれない。
スポーツにビジネスが入り込んだ次点でこれは宿命かもしれないですね。
以上です。
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