完璧なる不完全を作る美学
完ぺきとは真逆のテンチョです。
完璧な人間はいませんが完璧に見える人間はいます。
「人は見た目で判断されるべきではない」というのはわかりますが、それはこれからその人の内面を知ろうとする覚悟があるときだけに有効です。
通りすがりのボロボロの服を着た人を、もしかしたら清潔かもしれないと思う必要性が無い。
大きく迂回してトラブルを避けた方が良いでしょう。
見た目で判断してはいけないなどと考えてる時点で見た目で判断してるわけです。
もし純粋に見た目で判断しない人が居るなら、その人は見た目という意識自体がないのです。
完璧に見える人で私がパッと思いつくのがキムタク。
彼のことを好きか嫌いかは全く別問題として、徹頭徹尾カッコつけてます。
コミカルな役でさえカッコつけてる。
プライベートでもだらしなく酔っ払って全裸ダッシュ姿が晒されたり、婦人警官をひき逃げしそうになったりという事も無い。
それだけに大物感(本当に大物なのだとは思うけど)で近づけない空気が芸能界でもあるのでしょう。
人として完璧といのは防御なのだと思います。
読んで字のごとく完全な壁。
完璧は人に向けるものではなく装備するもの。
攻撃は他者によって変化させないといけない柔軟性が必要ですが、防御であれば自身の穴を徹底的に塞ぐことで相手が誰であれ対応できる。
だから防御。
完璧に見える人は時に『細かいところを気にする人』とも判断されかねません。
難しい人なのかもという警戒をされる。
警戒されると会話も周りの環境を話題にすることが多くなり、ありきたりで無難な会話が続き、つまらない人というレッテルを貼られてしまうかもしれません。
逆に意図して隙を作っている人こそ狡猾なのかもしれません。
私が思う芸能人では天海祐希さん。
スーツや露出の少ないドレスを着ている傾向があります。
堅く見えてバラエティー番組などではお茶目さというか、やや生活感が垣間見えます。
谷原章介さんもそのように感じます。
堅苦しく着こなすスーツと貼り付けたような笑顔ですが、話は少し冗談を織り交ぜた三枚目スタイル。
本質的にどうかは知りませんけどね。
そういう意味では『完璧な人』というのは少しの綻びを作っておいて、親しみやすさも演出することを計算しているのかもしれません。
突け入る隙も無く完全無欠の状態は、親しみやすさという領域では完璧でない可能性があります。
本当に完璧な人間なんていないのですから。
以上です。
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