ポンコツ店長の奮闘記

店長の日々の出来事や葛藤の日記にしていきたい

映画『イノセンス』を見返して

懐古主義ではありたくないと思うテンチョであります。


昨日、アニメ映画であるイノセンスを見返しました。
相変わらず素晴らしい作品だと思いました。
作品の内容は明らかに邪道。


約20年前の作品です。
とても素晴らしく心に残るという感覚です。


そしてマニアックなことに続編感が強く、登場人物の説明などありませんし、関係性や経緯がオミットされていますので、少なくともゴーストインザシェルを見ていないと分からない作品です。


元は1991年、士郎正宗によって描かれたコミックで2029年を舞台にされています。

押井守監督がこれを映画化。
第一弾は『ゴーストインザシェル』はゴーストとは?器とは?ということを改めて考えさせられるのと、アニメでのアクション演出は見事でした。
世界観を神秘的なものに演出する楽曲のチョイスも素晴らしかった。


押井守監督の攻殻機動隊を描いた第二弾が『イノセンス』。
前作とは明らかに異なる押井守作品という作品に変貌しました。
相変わらず神秘的で鬱な世界観。



テンチョの感想としては本作の大きな話の内容はそれほど大したことではないとおもいます。
この作品は作風に重きが置かれています。


登場人物のセリフで哲学者や著者の名言の引用が次々と繰り出されます。
聞き逃してしまったり意味が分からなくても、物語自体の本質がうっすいため、問題ないです。


そうして主人公である公安9課のバトーとトグサはゆっくりなペースで伏線と回収を行いながら捜査を続けるのですが、振り返ってみるとそこまで大冒険でもない。


面白いとか感動とかの感情が湧かないのに記憶に残るのは、明言を引用したセリフにいちいち寓意があることで、その名言が心に刺さるのでしょう。
名言を知れる楽しい動画テキストとでも表現しましょうか。



観た人の多数がこのセリフが記憶に残るのではないでしょうか。
「自分の面が曲がっているのに鏡を責めて何になる」
所轄の刑事の「柿も青いうちは鴉(からす)も突き申さず候」というセリフを吐いた態度に苛立ったトグサが「昔の自分を見ているようだった」と言い、それを受けたバトーが言ったセリフです。
字面を額面通りに受けるのではなくメタに考えると、「自分の嫌いな部分を他人に見て、その人を責めても仕方ない。それは自分の問題である」または「自分に似た他人を責めているのは自分を責めていることだ」ということなんでしょう。



自分の面が・・・というバトーのセリフに
「鏡は悟りの具にあらず 迷いの具なり」・・・か、とトグサは返します。
「鏡の中の自分を見つめて自分というものを理解しようとしても無駄だ」という意味なのでしょう。



終始このペースで今思い出せる範囲でも
・「生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落落磊磊(せいしのきょらいするはほうとうのかいらいたりいっせんたゆるときらくらくらいらい)
・「孤独に歩め、悪を成さず、求めるところは少なく、林の中の象のように」
・「その思念の数はいかに多きかな、我それを数えんとすれど、その数砂よりも多し」
・「彼ら秋の葉のごとく群がり落ち、狂乱した混沌は吼えたけり」


旧約聖書やミルトン、孔子などあらゆるところから引っ張り出す名言集です。



素晴らしい作品です。


テンチョの感想は・・・まあそういう悩みもあるよねって感じですね。



以上です。